めし記

主に創作物の物語に関する考察を書くブログでございます

正の感情から扇動される義憤という名のヘイト

思えば、人間はかねてより共感でもって国家や会社といった集団の長に制御されてきたのではないだろうか。

かつて日本人は高級車に乗り、高級時計を身に着け、ブランド物の服を着て、女性を侍らすような
そんな価値観が素晴らしいということを共有していた時期があったと聞いたことがある。
インターネットが普及して価値観が細分化され、大きな一つの価値観を全体で共有し難くなるまで、
そういったことを共有して経済を回したり国家を富ませる施策に共感という感情は用いられてきた。

戦争でも参戦することに大義名分を設定して国民を煽るようなことは
日本のみならず数多くの国でも行われてきたはずである。

つい十数年前にもそんなことはなかっただろうか?

自分が正しい、善い人間だという立場を得て為すことはだいたい気持ちがよい。
そしてある程度、正しい立場である人間による規律、規範の逸脱を許す。

悪事を為していることに無自覚な人間というのは多い。
それと同様に、善事を為すときも自身の善意に対して無条件で同意してしまうという現象も多い。
それは大概、私刑に繋がっていく。

あなたが愛した正義は誰かにとっての悪となりうる。
語り尽くされたような話ではあるが、未だにこの手合いの現象は尽きない。

憤る前に、そこに本当に義があるのかを過去へ問うようにしたい。